“令和の怪物”と呼ばれ、野球界で注目を集める佐々木朗希さん。
2023年3月4日、WBCの日本代表壮行試合で、日本人最速の164km/hを記録し大きな話題となっていますね!
佐々木朗希さんは9歳で東日本大震災で被災され、父親を津波で亡くされています。
この記事では、佐々木朗希さんの、
- 父親の職業
- 父親の死因
- みんなに愛された父親のエピソード
- 父親の身長
- 家族(母、兄弟)について
について調査しました!
ぜひ、最後までご覧ください。
【佐々木朗希】震災で他界した父の職業は葬儀屋!
震災で他界された、佐々木朗希さんの父親についてまとめました。
佐々木朗希の父親の職業

佐々木朗希さんの父親は、佐々木功太さん(享年37歳)です。
佐々木朗希さんの父親の仕事については、「人生の節目に寄り添う仕事」とメディアで書かれていましたが、情報を追っていくと「葬儀屋さん」であったことがわかりました。
功太さんは、不規則な生活になるであろう葬儀屋の仕事をしつつ、息子、朗希さん達と頻繁にキャッチボールをされていたと伝えられています。
また、佐々木朗希さんが小学生のとき在籍していたスポーツ少年団にも参加していたのだとか。
高田野球スポーツ少年団の監督をしていた村上知幸さんによると
普段からノックを打ったり、ノック時に捕手役を買って出てくれたりしていた。
引用:日刊ゲンダイ
また、父兄が参加する冬の「バット納めの日」には一緒にプレーをし、ホームランを打ったとういエピソードが残っています。
ただし、野球経験はなかったのだそうです…!
めちゃくちゃ運動神経がいい方だったのでしょうね。

葬儀屋の仕事をしながらも、子供たちとの時間をできるだけ取り、一緒に楽しい時間を過ごした功太さん。子供たちを心から愛しておられてた子煩悩なお父さんだったのですね。
父親の身長は?
佐々木朗希さんは192cmと高身長で有名ですが、父親の功太さんはどうだったのでしょうか?
調査すると、なんと、
だということがわかりました。
かなり高身長ですね!
バスケットボールも経験されていたということなので、納得です。



佐々木朗希さんの高身長は父親譲りということもありそうですね!
佐々木朗希の父親はどんな人だった?
佐々木朗希さんの父親・功太さんは、
- 明るい
- 地元のイベントなどに積極的に参加する
- 夏祭りでは町内会を率先して盛り上げる
- 地元のリーダー的存在
- スノーボードやジェットスキーなどが趣味
とても人情あふれる太陽のような方だったのだそうです。
朗希さんもインタビューで、父について次のように答えています。
誰とでもすごく仲良くしていて、みんなに愛されていたのかなぁ、と思います。
震災復興に尽力した戸羽太・陸前高田市長とも長く付き合いがありました。
「有言実行の人。一緒にやろうという仲間作りが上手な人でした」と、未来を語り合った日々を懐かしむ。
「気さくで、行動力があって。先輩も後輩も、みんなが付いていって」と褒める言葉が尽きない。
引用:日刊スポーツ
それだけ有名人なので、佐々木朗希さんのことを地元では、「あの功太の、3人息子の真ん中の子」と認知する人も多いのだとか。
功太さんが陸前高田ではとてもよく知られた人だったことがわかるエピソードですね。
しかし、そんな功太さんは37歳のとき、東日本大震災で津波に巻き込まれて亡くなられます…。
佐々木朗希の父親は震災で他界
佐々木朗希さんの父・功太さんは、残念ながら東日本大震災の津波によって他界されています。
佐々木朗希さんは、当時小学校3年生。
その瞬間は岩手県陸前高田の小学校にいたのだそう。
校庭まで津波が押し寄せてきました。みんなで必死に高台まで逃げたのを覚えています。正直、なにが起きたのか分からなかったけど、その事は今でもはっきりと覚えている
と、後に語っておられます。
避難所で兄弟3人で一夜を明かし、翌朝には母・陽子さんと再会できたが、自宅は流された。
最愛の父と祖父母は津波にのみ込まれた。
引用:スポニチ
朗希さんの9歳という小さな体と心で、どれほどの悲しみを抱えたのか計り知れません。。
悲しい過去を乗り越えて今の佐々木朗希さんがあるのだと思うと胸が熱くなります。
佐々木朗希さんと父親のエピソード


佐々木朗希さんと父・功太さんのエピソードをご紹介します。
葬儀屋の仕事で忙しくされながらも休みの日には息子たちとキャッチボールをされた功太さん。
功太さんは生前、息子・朗希さんの野球の素質を見抜き、将来プロになれると断言されていたそうです。
幼少期、キャッチボールをしてくれた父は「朗希は凄い!将来、プロになれる」と予言したという。
引用:スポニチ
亡き父は「将来はすごい選手になる」と予言し、小学校低学年の朗希にも強い球を投げた。
心配して止める人を、祖母は「いいんだよ、あれで」と制した。
引用:日刊スポーツ
プロになると見抜き、朗希さんにも厳しく教えていたのですね。
その予言通りに立派に成長しプロで活躍されている佐々木朗希さんの姿を、今頃天国で目を細めて見ておられることでしょう。
【佐々木朗希】母や弟など家族について調査!


佐々木朗希さんの母や弟などの家族について調査しました。
佐々木朗希さんの家族
- 母親の陽子さん
- 兄の琉希(りゅうき)さん
- 弟の怜希(れいき)さん
佐々木朗希の母親
佐々木朗希さんの母親の名前は「陽子さん」です。
ロッテの契約時に、朗希さんと一緒にテレビに出演されたことがあります。


スラっとしていてとてもきれいな方ですね^^
そのキレイさにネット上でも大きな話題になりました。
性格は気さくで天然っぽい感じなのだそうです!
そんな陽子さんについて
- 年齢:50歳(2023年時点)
- 職業:保険会社の営業
- 料理が得意で、佐々木朗希さんが好きなメニューは「ハンバーグ」
- 男の子は背が高い方が有利と思い、夜9時には消灯。子どもたちに睡眠をたっぷり取らせた
背が伸びるようにと子供たちに十分な睡眠をとらせた母・陽子さんのエピソードが個人的に凄いと思いました。
スポーツ選手として恵まれた身長の朗希さん。
仕事をしながらもきっちり子育てをされてきた努力の賜物だったのかもしれませんね。



女手一つで息子3人を立派に育て上げた陽子さんに頭がさがります。
佐々木朗希さんの高身長の理由は、母・陽子さんのおかげと言っても過言ではなさそうです…!


佐々木朗希の兄弟


- 兄の琉希(りゅうき)さん
- 弟の怜希(れいき)さん
佐々木朗希さんは3人兄弟の次男です。
父親の亡き後は、兄である琉希さんが父親のかわりを務めるようになったとのこと。
兄弟は全員大船渡高校に進学しています。
琉希さんも野球がうまく、3年生の時には4番を任される実力の持ち主。
佐々木朗希さんが野球に興味を持ったのは、なんと、兄の琉希さんが地元のスポーツ団に入ったことがきっかけだったのだそうですよ。
兄の琉希さんの背中を追いかけて野球をされてきた幼い朗希さんの姿が目に浮かびますね。
また、弟の怜希さんも大船渡高校の野球部でレギュラーとして活躍しています。
佐々木朗希のプロフィール


佐々木朗希さんのプロフィールをまとめました。
- 名前:佐々木 朗希(ささきろうき)
- 生年月日:2001年11月03日
- 身長:192cm
- 体重:92kg
- 出身地:岩手県陸前高田市
- 出身校:大船渡高校
- 投打:右投げ・右打ち
- 所属:千葉ロッテマリーンズ
- 2010年 陸前高田市の高田小3年から少年野球を始める。
- 2011年3月11日 東日本大震災に遭う
- 2011年 小4で母の実家がある大船渡市に引っ越す
- 2014年 大船渡第一中に進学し、軟式野球部に入部
- 2016年 全国大会で最速141キロを記録
- 2017年 「地元の高校で甲子園を目指したい」と大船渡高校に進学
- 2019年4月6日 高校野球史上最速の163キロを計測
- 同年10月17日 ドラフト会議で4球団から1位指名を受けロッテ入団
- 2022年4月10日 オリックス戦で史上最年少となる完全試合を達成
9歳で東日本大震災や父親の死という悲しい経験をした佐々木朗希さん。
ネガティブな気持ちになることもあったそうですが、野球があったからこそ乗り越えたと語っておられます。
野球しているときが一番楽しかった。夢中になれる時間というのがあったおかげで、大変だったとき、つらいときも頑張れた。野球をやっていて良かったなと思う。
まとめ


この記事では、「【佐々木朗希】震災で他界した父の職業は葬儀屋!母や弟など家族について調査!」と題して、佐々木朗希さんの父親、母親、兄弟など家族について調査してきました。
父親の死、東日本大震災で被災した経験など、壮絶な人生を歩んでこられた朗希さん。
これからもますます活躍される佐々木朗希さんを応援していきたいと思います。
佐々木朗希さんの身長192㎝超えの理由は母・陽子さんの育児方針にありました


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