俳優としてめきめきと頭角を現している眞栄田郷敦さん。
父親が世界的なアクション俳優である千葉真一さんであることも知られていますね^^
眞栄田郷敦さんは小学校までアメリカで育ちましたが、高校は岡山県の学校に通っています。
いったいなぜ岡山だったのか気になりますね!
この記事では、眞栄田郷敦さんの、
- 岡山の明誠学院高校へ行った理由
- 学生時代にプロを目指した職業
- 中学、大学などの学歴
などについて、調査しました。
眞栄田郷敦はなぜ岡山の明誠学院高校へ?
眞栄田郷敦(まえだ ごうどん)さんは、なぜ岡山の高校に進学したのかを調べました。
小学校まではアメリカで過ごす
眞栄田郷敦さんは、父親である俳優の千葉真一さんがハリウッドを目指していたことからアメリカのロサンゼルスで育ちました。
これは、千葉真一さんが「京都に引っ越すまではビバリーヒルズで暮らしていた」とテレビで発言されていたことからわかります。
また、小学校時代に父親から教えてもらった極真空手は、全米体重別選手権で2位になるほどの実力!
バスケやスケボーなども得意とし、運動神経抜群だったそうですよ^^
2010年10月の眞栄田郷敦さん(10歳)

今よりだいぶふっくらしている郷敦さんです。
中学校から日本へ
眞栄田郷敦さんは中学に進学するにあたって、母親と一緒に日本に帰国します。
(この帰国は、両親の別居が原因と言われており、母親の実家がある京都に住むことに。)
小学校のバンドの授業で少し習っていたサックス演奏に興味があったことから、部活は「吹奏楽部」を選びます。
中学校に入って、従兄が部長で、楽器もやっていたし、吹奏楽部入ろうって。
そして、ここからサックスの魅力にのめり込んでいく眞栄田郷敦さん。
高校は岡山の明誠学院高校
そして、岡山「明誠学院高校・特別芸術コース」へと入学します。
偏差値は51です。
選んだ理由は、音楽の名門校であるこの高校から、サックスを学べる「東京藝術大学」に進学するためでした。
中2の時にプロを目指そうと決めてアルトサックスにしたんですが。
その時すでに東京藝術大学に入りたいと思っていて。
高校はプロを目指せるコースのある岡山の学校に決めて、吹奏楽部で部長を務めながら大学受験のために頑張っていた
引用:anan

中2からサックス奏者のプロになろうと意識して大学を決め、その大学に入るための高校を選んでいたのですね!
眞栄田郷敦さんが中学時代からこんなにも一つの夢に対して頑張ってきたのは、父親の千葉さんの教えがあったからだそうです。


「やるならてっぺんを目指してとことんやれ。嫌なら辞めろ」
てっぺんを取るぐらいの努力をしろ、ということですよね。小さい頃から言われてきたので、それが僕の軸としてあります。だからサックスを頑張れたところもあります。
と、雑誌のインタビューで語っておられました。
眞栄田郷敦のプロを目指した職業と大学受験失敗の挫折!
2018年、眞栄田郷敦さんは中学から目指していたプロのサックス奏者になるべく、ついに「東京藝術大学」を受験します。
ところが、不合格に。。
「落ちる気はしなくて、絶対に受かると思っていた」と言うほど自信満々だった受験に失敗し、プロのサックス奏者の道を断念することとなりました。
そして、全く考えもしていなかったという演技の道へ進むことになるのですが…
そのきっかけとなったのは兄の新田真剣佑さんと父の千葉真一さんでした。
兄の新田真剣佑さん


「ちょうど(受験に)落ちたぐらいの時に、兄の『OVER DRIVE』(2018年公開)って作品がありまして、父に誘われて、関係者だけの初号(試写)に行かせてもらった」と郷敦。作品を観た時は「すごいな、逆に自分は絶対にできないな」という思いが強かったというものの、「その時に、ROBOTという制作会社の映画だったので、ご挨拶とかさせていただいて、この役(『小さな恋のうた』の慎司役)をどうかって言っていただいて…」とデビュー作のオファーが舞い込んだという。
引用:スポニチアネックス
現在、眞栄田郷敦さんは俳優としても実力を認められ、主演を務めるほどの人気ぶりです。



俳優業の成功も、自分のもてる力をすべて注ぎこみ、全力で取り組んできた結果なのでしょうね。
まとめ
この記事では、俳優・眞栄田郷敦さんの、
- 岡山の明誠学院高校へ行った理由
- 学生時代にプロを目指した職業
- 中学、大学などの学歴は?
以上について、調査してきました。
中学生(京都市立修学院中学校)の時からプロのサックス奏者を目指していた眞栄田郷敦さん。
岡山の明誠学院高校に行った理由は、音楽の名門校であるこの高校から、サックスを学べる「東京藝術大学」に進学するためだったことがわかりました^^
眞栄田さんの結婚相手についての記事はこちら




兄弟2人の苗字が違う理由が感動的です…!

